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- 出原村(近世)とは
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出原村(近世) 江戸期~明治8年の村名出ケ原村とも書く(旧高旧領)会津地方北西部,長谷川中流沿岸に位置する河沼郡のうち会津藩領野沢組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録で76石余,文化15年の村日記(県史10下)では119石余,「天保郷帳」124石余,「旧高旧領」135石余昔伊豆国から来た者が紙漉きを伝えたことにちなみ,伊豆原村と称したが,のちに今の字に改めたという(新編会津)越後街道から分岐する黒沢街道筋にあたる寛文10年の家数19軒,人数男72・女57(万覚書)化政期の家数29軒物産は紙野沢組に属する村々も紙を産したが,当村が最初に漉いたため出原紙と称したという(新編会津)当村で産する紙の種類は多く,杉原紙・大障子紙・目録紙・鼻紙などがあり,紙役として目録紙5束1帖を上納していた(貞享2年風俗改書上/会津風土記風俗帳2)神社は伊豆神社・天満宮など村内の観音堂は中先代の乱で戦死した蘆名盛員・高盛の供養のため,高盛の室が延元元年に創建したものといい(寺伝),数度の補修ののち,慶長16年の地震で倒壊したのを同17年再建したという(新編会津)寺院は観音堂の別当の真言宗円満寺,ほかに浄土宗光徳山西蓮寺明治4年の戸数24・人口143(若松県人員録)同8年黒沢村ほか3か村と合併して下谷村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」